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​私の感動した1冊

​1冊の本との出会い、新しい世界が広がる・・・

ピンクの花
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私の感動した1冊 №42

『夢の地平線』

 大田本町支部 泉 恵子

 このご著書を大田本町支部の輪読会で読み合わせて来ました。純子先生のご著書は読み易く、柔らかい言葉が心に沁みるのです。若い読者を対象に書き綴られ、これからの地球をどの様に守って行くべきかを提言下さっています。地球温暖化による深刻な状況、今こそ声を上げて変えて行かねばならない。そして目の前に起こる出来事は必ず何かを教えてくれている、とうことも。純子先生は日々の暮らしを慈しみ、主婦の目線から書かれた事々が共感出来るのです。
 フレンチシェフの三國清三(きよみ)さんの事も取り上げておられますが、先見の明がおありですね。直後に新聞にも三國さんの記事が出ました。三國さんのたゆまぬ努力と強い願いは、開かずの扉を開けるもの。努力の積み重ねだけが夢の実現につながる。目の前にあることを、希望を持って努力すれば、“夢の架け橋”になるかもしれない。ファーストフード興隆の中、三國さんも力を入れておられる子供達の味覚を守る為の食育活動、未来の大人に食育を……純子先生も我が意を得たりと思われた事でしょう。
 他にも梨木香歩さん作の『西の魔女が死んだ』の本や映画の事が取り上げられていますが、私もお気に入りの物でもあり、とても嬉しく感じました。これらすべてのベースにあるものは、「人間神の子」。「神の子」という希望の光が導いて下さるから、誰も持っている無限の可能性を信じて努力すれば、前に進むことが出来る。人生に魔法があれば、それは希望と努力から来る。―と純子先生は言われています。人生の目的は可能性を開花させる為にある。そして、すべての背後には神が存在する。この永遠の真理を改めて心に深く刻みました。
 『夢の地平線』は無限の可能性に向かってどこまでも伸びてゆくもので、見ているだけのものではなく、希望を持って努力すれば、“夢の架け橋”を自分でかけられるかもしれないというエネルギーを頂きました。

​(大和島根R7年2月号)

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私の感動した1冊 №41

『「ありがとう」はすばらしい』

神門支部 勝部政美


 我が亡き義父が買い求めた聖典だ。主人と再婚し、生長の家を信仰して二年目に成る。
主人は、「生長の家は、ありがとうの教えで感謝の教えだよ。」と話してくれていた。私は今まで「感謝の暮らし」をして来たのだろうか?疑問だ。そんな思いを抱えていた時、『「ありがとう」はすばらしい』というこの聖典と出会った。
 谷口清超先生は。「この世は学校である」と学ばせて頂いている。115頁「人生学校について」が心に強く入って来た。
 この世は学校である。人は色々な事に出会うが、それによって多くを学び生長する。この世に生まれた事は、この“人生学校”に入学した事だ。ああ、私は一年生になったのか。だから、今まで様々な苦労をして勉強をし、学び生長するのか。今は、人生学校の何年生なのだろうかな?来年は還暦なのだが。
 人生経験を積んで来た上で、素直な幼児の心で生きるのは、大変な進歩なのだと記されている。別の道を歩く事も出来たのだろうに。自分で苦労の道を選び歩いて来た。又、道を選ぶという判断をする事は、大変すばらしい。苦しみを選んだのも私。幸せを選んだのも私。これからも、この“人生学校”で色々学ぶのだろう。日々「ありがとう」の感謝!感謝だ。
 我が亡き義父からの聖典のプレゼントをこれからも大切に読んで行こう。皆様にも清超先生のこの聖典をお勧めしたい気持ちでいっぱいです。
神様、ご先祖様、私にご本を学ばせて頂き、ありがとうございます。

​(大和島根R7年1月号)

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私の感動した1冊 №40

『如意自在の生活365章』

揖屋支部 濱田嘉子

 私がこのご本と出合ったのは、平成24年10月28日です。揖屋支部に入会して三年、初めて団体参拝練成会に参加した時です。テキストとして購入し、記念スタンプを押していただいたので日付がわかりました。以来、私の手元にいつもこの御本を置き、バイブルのように活用させていただいております。
 雅春先生は「何々365章」と題して何冊も書いておられますが、この本のはしがきの中で次のように説明しておられます。
 365章シリーズは、人間智によって書かれたものではないのである。このシリーズのうち、この『如意自在の生活365章』は、恐らく365章ものの最後のもっとも圧巻とも称すべきものであり、わたしが激しく霊感的状態になり、天界からのインスピレーションを最も受け易い状態になり(中略)私が霊感的状態になっていた頃の期間に「法語」として書き続けて来た真理を一冊にまとめたものが本書であるから、本書の全巻は、生きてピチピチ現に撥ねている“真理”の書だということが出来、読者のたましいに真理が直接つたわると思う。


 以来、毎日事ある度に開いて、真理の言葉を求め続けています。中でも297頁『本当に真理を悟れば問題はすぐ解決する』という項目では、問題が起こって悩んでいる人に個人指導を求められたりする。―その問題が“病気”であろうが、“経済難”であろうが、何か他の不幸な災厄であろうが―それは同じである。「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」とわたしたちはイエスと同じことを言うのである。すべての困難も障害も、神はそんなものを造らないから、本来の意味において、そんなものはないのである。
 このことを知ることが真理を知ることである。この真理を本当に知ったとき解決できない問題はないのである。
と、ハッキリと断言されています。
 自分の本体は肉体ではない、神の子であり、霊であるということを悟ることが一番大切であると、ご本を通じて教えていただきました。
 人間が神の子であれば、親は神様である。親なる神様に守り導かれ、70数年元気に生かされ喜びの生活を送ることが出来ました。感謝の念で一杯です。これからも、このご本を大切に人生の道しるべとして、拝読させていただきます。

​(大和島根R6年12月号)
 

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『新版 生活と人間の再建』

神門相愛会 岩﨑芳久


 このご本は谷口雅春先生のご著書で、昭和二十九年五月一日に初版発行され(平成十九年新版発行)、聖典の中でも比較的に新しいご本です。総裁谷口雅宣先生、白鳩会総裁谷口純子先生も講習会の時に度々、テキストとして使用されました。書名は、当初「愛と生活への出発」と云う題になる予定だった様ですが「生活と人間の再建」の書名がつけられた。全二十章、一四八項目、三四二頁に、日々の生き方をわかり易く、力強くお説きくださっています。どの項目も一字一句頷(うなず)けるご文章です。
著書の「はしがき」には、“今までの生活の生き方で、どうしても面白く行かない人や、色々の宗教を巡礼してみたがどれからも功徳を得なかった人などが、本書をお読みになれば、その面白く行かない原因がハッキリわかって、人間と生活との根本的な革命をする道を見出されるにちがいないと思う”と書かれています。
更に私の心に深く刻まれた文章を紹介します。それは、第一章「愛と生活への出発」三十七頁「真に偉大なる者」から。
“(前略)愛は小さきことの実践から始まるのである。諸君は自分にとって必要なものを神に対して求めたことはあるであろうが、然し自分にとって何の利益にもならない、ただ他の人のためにのみなる幸福を祈ったことがあるであろうか。若しそれがないとしたら今すぐからそれを実行するようにお勧めする。本当の魂の喜びはそういう所から湧いて来るのである。(中略)神は「静かなひくい声」で諸君にささやき給う。そして諸君を導き給うのである。諸君の生活が真に神の生活となり、愛を実現する生活となる時、神の祝福と愛とが諸君の仕事に現れて来るのである。まず小さき愛行を実践せよ、そこから諸君の周囲に天国が実現してくるのである。 ”と、

先日のことです。何時もの様に妻と二人でクリーンウオーキングの最中、下校中の沢山の小学生とすれ違いました。「お帰り」と声がけをしました。その中の一人の女の子(三年生位)がニコニコとした表情で「帰りました」と返事をしてくれました。その子の本当に嬉しそうな顔と声に逆にその子の嬉しさが私に伝わってきました。道すがら、妻と二人で「素晴らしいネ」とその子を称えました。   
このお示しくださった“小さき愛の実践”を今後も微力ながら続けていきたいと思います。

​(大和島根R6年11月号)
 

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『森の日ぐらし』

城西ピース支部   山本美和子

このご著書は谷口純子先生が、八ヶ岳南麓の北杜市大泉町に越されて8年目、新型コロナウイルスの真っ只中に出版されたものです。新型コロナは、私たちの平穏な日常を脅かし、命の危険をも感じさせました。そんな中で足元にある暮らしに喜びを見つけ、夜があっても朝や昼を忘れず、明るい中で改善の道を進もうと書かれています。今では、新型コロナは5類になりましたが、第11波がやってきて、まだまだ終息せずにいます。
この本の題を『森の日ぐらし』とされたのは、自然との触れ合いの中で、その日その日を自然と折り合いをつけながら、時に譲り、時に多くの恵みを得、決して単調ではない日々を、終日楽しんで生きようという思いからだということです。
今わが家の庭には、夏野菜が所狭しと植わっています。特にキュウリは豊作で、人様にもおすそ分けするくらいです。他に3種類のトマト、ピーマン、ナス、オクラが毎日実り、カボチャも3個は収穫しました。後メロンがどうなるか?主人はもうちょっともうちょっと、取り時が分からなくて慎重に育てています。
この『森の日ぐらし』には、地産地消、旬産旬消で無農薬、無化学肥料の野菜を使った肉なし料理、日々の生活の工夫などが収録されています。わが家も楽しみながら実践していこうと思います。

 

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『感謝の奇蹟』谷口清超先生著

四絡南支部 遠藤瑳紀子
 

 5年前にH講師さんが誌友会で実兄さんが3つも癌を抱えながら奇蹟的に生還されたお話をされて、その後私の支部の誌友さんが癌になられた時、色々相談する中でこの本を紹介してもらいました。
 この本は谷口清超先生の御講習会の折、あるいは本部道場等での御講話の折、全国を廻ってお聞きになられた奇蹟的な信徒の実体験を掲げ、それに愛深く、私共に解り易く解説して下さっています珠玉の聖典です。
 皆様も昔、御講習会の折、信徒さんが体験を話されますと、終わった直後に近づいて行かれて体験発表された方と直接お話をされているお姿をよく憶えていらっしゃる事と思います。
 生長の家は一言で言えば「感謝の教え」だと言われています。こんな信じられない様な体験も載っています。
 岡山の今西さんの孫が誤ってストローで針を飲み込んだ。今西さんが心を込めて祈られた時間頃から針は気管を遡って食道に入り、胃に落ちて、無事便と共に排出されたという。
 本当に「祈りの力」と共に、平素のゆるぎない神への信ずる心、生長の家の教えを行ずる生活(いつも明るく調和した心で和気あいあいと暮らす)の大切さを学ばせていただきました。
 相手を良くしようと拝むのではなく、無条件で拝ませてもらう(実相を拝む)と実相が現れる。この本を読んで『甘露の法雨』に書かれている真理の言葉の素晴らしさ、『甘露の法雨』の功徳を改めて再認識させていただきました。
 平成29年11月11日に渡邊隆大分教区教化部長が出雲の教化部で、生長の家の教えは釈迦、キリストを超える教えを完成されている。生長の家の教えは「人類最後の最高の教え」であるとお話になり、その当時はちょっとさすがに大袈裟過ぎるのでは……と思ってお聞きしましたが、この本を読み、今は本当にその通りだと合掌せずにはいられません。(大和島根R6年9月号)

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『叡智の断片』を読んで

松江城西相愛会 多久春夫


 始めに私が思ったのは、私にとってとても読み甲斐のある本だと思いました。私なりに感想を書きますと、自分の身に付けなければならない事柄が沢山書いてあります。あまりにも色々書いてあり、わかる所は一応理解できるようで、理解出来ないところもあったりして難解なところは何回も読んだだけでは自分のものにはならない、やはり体験があって理解出来る文章もあります。自分の中に落としこまねばならないので相当読まないと自分の身にはならない箇所もあります。しかし読むだけで身にならないかと言えば身になるところもあります。また、日々実行していけばよい方法が書いてあり、なるほどと頷けるところもありました。生長の家は罪の子ではなく本来神の子で、私達を解放する事が目的でその方法や理由が書かれています。
 私が読んで今一番心に入ってきた事は、今を生きる事がいかに大切か、とかく私は、未来の事ばかりに気を向けて何か悪い事が起きるのではないか、とか過去の事を振り返ってあれが悪かったとか思い煩う事が多いように思います。何よりも今を一所懸命生きる事がすべて良い方に向かう基だと思いました。体験も読むとなるほどと頷けました。153頁から155頁には松江と浜田での体験がのっていて何か身近に感じるものがありました。この本が全部理解できたらすごい事だと私には思えるし、理解出来るよう他の本を読んだり、行の実践をしていきたいと思います。今ではこの書と出会えて本当に良かったなあと思います。
​(大和島根R6年8月号)

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『人間無病の原理』

 谷口雅春著作集 第五巻

朝山支部 藤江志美枝

 

 本書は、昭和六十年の初版から平成三年の第十三版刊行まで、「谷口雅春著作集」として読み継がれてきたご著書の第五巻です。
 私がこの本を知ったのは、数年前の団体参拝練成会の帰りのバスの中でした。当時私は、神想観の祈り方に戸惑い、無力感を抱いていました。同乗されていた講師の方に尋ねたら、「コツのようなものはないが…。」と言って、この本を紹介して下さいました。
 
 神想観とは、神のつくり給うた実在の世界には、円満完全な実相のみ独在するということを信じ、(略)神のコトバを素直にそのまま幼な児の心をもって承認し受けるだけのこと。(170~171頁)

 

 このコトバに力を頂き、神様がお創りになった“善”のみの世界を観じて行ずる神想観が楽しみになり、毎日行じました。その頃は、特に、夜半の動悸が長く続き、「治りたい」の一心でしたので、病を掴んで放さないという苦しい状態が続いていました。

 治そうと思うものは却って治らず、治そうと云う心さえも放ち去って心が自由になったとき、病気がない(●●)のである。(11頁)

 この神の子の自覚を促すコトバを知り、不思議な力が我が内にも宿っていると気付きました。早朝神想観では、「吾れ神の子なり」と念じていますので、神様のみ心を強く感じています。現在動悸が治まり、感謝の毎日です。
 さらに、病菌と人間の関わりについて、

 同じ結核菌でも、人間を害する毒性の強いものになるかどうかは、その宿主の人間の心如何(いかん)によるのであります。(略)寛容の心…(略)(94~95頁)

 とあり、やはり心が大切であると知りました。
 義父は、主人が三才の時結核を患いました。亡くなる方が増え、諦めかえていた時にみ教えに導かれたのです。『生命の実相』を読み、聖経読誦等を続け、神様から頂いた命であったことが、自宅療養の苦労の中でわかったと話していた事を、義母が語ってくれました。
義父は七十四才迄生きました。人間同志は勿論のこと、自然・菌類とも、大調和して生きることが、如何に大切であるかを学べたことにも感謝します。

(大和島根R6年5月号)
 

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