教区機関紙
大和島根より


聖使命会員入会の喜び
出雲市 I
合掌 ありがとうございます。
この度、宇治練成会で家族が大変お世話になった山口哲弘本部講師が、島根・鳥取教区教化部長にご就任になられたとお聞きすると共に、地元の永瀬治子講師の熱心なお薦めもあり、つたない体験が少しでもお役に立てばとの思いで寄稿させていただきました。
聖使命会入会は約三十六年前に遡ります。当時、母が長期入院中であった私を心配する中、地元会員の皆様のご愛念をいただいたことがきっかけであったと聞いております。
お陰を受けて病気も快癒した私は、その後退院し結婚、三人の子供も授かる事が出来ました。
母は十七年前にくも膜下出血の手術をしましたが、後遺症もなく快復し、一昨年九十七歳で霊界に旅立つまで元気で孫の面倒を見てくれました。
成長した三人の子供たちも、護持会員として導かれ、交通事故や就職など様々な問題を克服し、それぞれ家庭を築いてくれています。三番目の娘が結婚しましたので、今年の一月には娘婿や赤ちゃんを入会させていただきました。
入会により、数え切れないほどのお陰をいただいており深く感謝申し上げます。今後も信仰を深め、家族がそれぞれの仕事を通じて少しでも社会のお役に立てるように努力してまいりたいと思います。本当にありがとうございます。

西日本光輪賞を拝受して
木次相愛会 石田 盛喜代
合掌 ありがとうございます。この度身に余る西日本光輪賞を拝受いたしました。先ずもってご推薦いただきました教区幹部の方々に感謝御礼申し上げます。
この受賞は、私を生長の家との縁を結んでくださった父母・ご先祖様に始まり私を導いてくださいました方々、特に現山下良忠教化部長をはじめ歴代の教化部長・その他の本部講師等先輩諸氏の方々、そして、共に信仰活動をさせていただいた皆様・愛行を受けて頂いた方々のお陰でございます。また、私を支えてくれております家族のお陰でもあります。改めて心の底から関係者全ての方々に感謝御礼申し上げます。
数々のお蔭をいただきながら、「お蔭信仰」でしたが、曲がりなりにも脱皮の転機となったのは、昭和六十一年十一月に会社の運動会でアキレス腱を断裂して入院したことです。勤めておりました電電民営化直後の超多忙の中で考える時間ができ、「これではいけない。生命の實相を全読して練成会を受けよう。そして本物の信仰をしよう。」と考え方・生き方が「お蔭信仰」から「愛行信仰」に転換できたことです。
人間は徳積が必要と信じておりますが、顕彰されると消えてしまうということも承知しております。私の徳積は些細なことですが、それでもこの受賞で消していただきました。「隠徳を積みなさい」と諭していただいたとも受け止めて、今後を更に御教えを根底とした『与生』として精進したいと思っております。今後とも、変わらぬご指導を賜りますようお願い致しまして、感謝御礼の言葉とさせていただきます。再拝

布教功労賞を拝受して
大田本町支部 西村世紀子
合掌、ありがとうございます。
この度は、布教功労賞拝受の栄誉にあずかり、本当に有難く、心より感謝申し上げます。その感謝は神様、ご先祖、両親、夫、生長の家のみ教えに導いてくれた義叔母、歴代の教化部長初め先達の皆々様、白鳩会運動を共に展開し、支えてくださいました同志の皆々様、教化部職員の皆様にささげたいと思います。
思い起こせば、25歳の時にみ教えに触れ、反抗してきた両親への感謝に目覚めることができました。その他いただいてきたおかげは数え切れません。今も夫との穏やかな日々の中で、かつての体験をしみじみ有難く振り返っています。
ご恩返しは私にとってはお役を引き受けさせていただくことでした。平成16年に初めての支部長拝命は、故田原シヅノ講師の後任でした。ご生前の時からこれまでずっと私を救い見守り続けてくださっています。その後総連長、講師会副会長、白鳩会副会長を経て、連合会長の大役が舞い込んできました。退任した今でもよく使命を果たせたと信じられない気持ちになります。白鳩会運動は幹部会員信徒の皆様のご協力があって成り立ちます。皆様のおかげで温かいお気持ちに囲まれた楽しい六年間でした。ありがとうございました。二期目はほとんどコロナ禍で変化の富んだ歳月も良い思い出となりました。また、最前線でご指導賜りました山下教化部長におかれましては、最も身近で親しくお導きいただき、教区全域を講習会推進、先祖供養祭などなど、同行させていただいた数々の思い出と共に深甚の感謝と益々のご活躍を祈らせていただきます。
お役の原点“支部長”をいましばらく勤めさせていただき、後継者育成が私を育てて下さいました田原講師への御恩返しと心得てこれからも精進いたします。再拝(大和島根R5年4月号)

布教功労賞を拝受して
松江城西相愛会 長野隆治
合掌 ありがとうございます。
この度は、布教功労賞を拝受し誠に有難うございます。今までご指導、ご支援いただきました山下良忠教化部長はじめ歴代の島根教区教化部長、諸先輩方、幹部の皆様、信徒誌友の皆様に厚く感謝申し上げます。また、青年会時代から応援し支えてくれた妻にも感謝したいと思います。私が青会を終えて松江城西相愛会長を拝命しましたのは三十五歳の時でした。前任の会長は、大病を克服されて大変痩せておられた当時七十一歳の伊東博臣講師(元島根日野自動車常務)で、「自分はいつ死ぬかわからない。あなたなら三十年は出来るから後はよろしく頼む。」と言われ引き継ぎましたが、八十八歳まで長生きされて仕事の忙しかった私を後援して下さいました。また、城西相愛会には、多くの人を救われた門脇利一講師がおられ、親しくご指導いただいたことは私の信仰の支えになっています。そればかりではなく、奥様(徳子様)や次女の冨二美さんには、いつも行き届いたお世話をしていただき感謝の念に堪えません。それから、近くに住んでおられた白鳩会員で習字の先生だった井口志津枝さんからは、会社発展のためにと「甘露の法雨」の写経をいただきました。(存命中に四百数十巻の「甘露の法雨」の写経をして愛行されました。)他にもたくさんの愛深い方々によって支えていただき活動を続けることが出来ました。今では他界された方が多くなりましたが、霊界からいつも護っていて下さるような気がしています。
この受賞を機に、一層信仰を深め、教勢発展のために尽くしたいと思いますので今後ともよろしくお願い申し上げます。再拝(大和島根R5年4月号)

怪我をして守られていると感謝!
出雲東第一支部 山下峰子
昨年10月5日、腕時計の電池を替えに自転車でイオンに出かけました。久しぶりのイオン、電池交換を頼み色々見ながら歩いていると、飛び出たソファーの角に引っ掛かり転んでしまいました。痛いと思いながらも3㎞の道のりを自転車をこいでやっと家に帰り、すぐ整形外科で検査してもらったところ、右膝靭帯損傷の骨折でその日から松葉杖生活になりました。子供達も心配し、三女はお姑さんから孫は見てあげるからお母さんの手伝いに帰ってあげなさいと言われたと3年振りに帰省し色々手伝ってくれ、四女家族、長女も帰省して楽しいお正月を迎えることができました。我が家は帰省する子供や孫と全員一緒に神想観や先祖供養をします。今回も皆一緒にお祈りが出来る幸せを感じました。
特に、主人は毎日神想観の中で、「神の無限の癒す力、我を通して山下峰子の中に流れ入る……。山下峰子は神の子で完全である。神の無限の癒す力、我を通じて山下峰子の中に流れ入り給いて完全なる実相を現し給うのである。光明矍(かく)鑠(しゃく)、光明遍照(へんじょう)、光明矍鑠、光明遍照、光明遍照の中に完全円満なる実相身を現し給うのである。ありがとうございます。ありがとうございます。」と毎日祈ってくれます。お祈りが始まると、私は何か急にスーッと眠ってしまい、神様に守られ包まれているような感じになってしまうから不思議です。そして、主人の「天照す御親の神の大調和の・・・」と、大調和(みすまる)の歌が聞こえて来るとパッと目が覚めるから不思議です。主人や皆さんから祈ってもらい、神様に守られてありがたいなーと感謝せずにはいられません。
今回の怪我で主人や沢山の人に祈っていただき本当にありがとうございました。74年前に「生長の家」を知り愛行・活動をしてくれた父に感謝し、私達夫婦・子や孫に生長の家を伝えることが出来て本当に良かったと思います。ありがとうございました。(大和島根R5年3月号)

植物にも心があるを実感
川跡相愛会 大坪弘衛
私が大菊の栽培をはじめたのは、十五年前七十三歳の年でした。先輩の指導を受けながら、ポチポチの栽培でしたが、栽培をはじめてから二年目でいきなり県知事賞を戴きました。 何年も何十年もの栽培歴がある人もなかなか戴けない賞をいきなり受賞するなど例の無いことだそうです。
ビニールハウスのなかで幼苗の時から、ショパンの「ノクターン」モーツァルトの「きらきら星」などを聞かせ、聖経『甘露の法雨』を読誦し、白い花には、あなたは濁りの無い清純な真っ白い大きな花を咲かせる命があるのですよ、黄色い花には、あなたは菊界を代表する真っ黄色な大きな花を咲かす使命があるのです、赤い花には、あなたは他のどの花にも負けない燃えるような朱と大きな花を咲かす力があるのです。
それぞれの菊に励ましと讃嘆の声を掛けながら栽培しました。結果は栽培歴の極浅い私が最高賞を受賞することになったのです。
生長の家では、人間以外の生物にも植物にも受け止める心が有ると教えています。私は、菊の栽培を通して教えの真理を実感しました。
最近はオーガニック栽培の野菜栽培を通してこの真理を実践し感謝の日々を過ごしております。(大和島根R5年2月号)

幸せを招く聖使命会
「聖使命昇格のすばらしさ」
四絡南支部 遠藤瑳紀子
私の支部のAさんは3年位前に、眠れないとかで大病院に入院されておられましたが、どうにもならない状態になられ、すぐ聖使命入会を勧め、夫婦で護持会員に入会されました。入会されるやいなや、アレヨアレヨという間に症状や良くなられ、元の元気な状態になられました。
二年余りはとても元気で過ごされましたが、今年の五月に癌の宣告を受けて再び入院されました。ステージ4との診断も下されたそうです。
そこで、思いきって什一会員への昇格を勧めたところ、夫婦揃って承諾されました。癌の部位が手術が出来ない場所だという事でしたが、幸いにもその癌に特化する薬があり、目下それを服用中です。この間、受診に行った時、医師から「だいぶ癌の範囲が小さくなった」と言われたそうです。
近年各々の癌に特化する薬が開発されているようですが、それに適合する人は十人に一人位だと言われたそうです。やはり昇格されて神様とのパイプを太くされたからかなと喜んでいます。一日も早く回復を祈っております。
(大和島根R5年1月号)

幸せを招く聖使命会
~感謝の思いで特志会員昇格~
出雲東第一支部 柳樂真理子
私は、生長の家を信仰している母の元で育ち、聖使命会員も1歳の時入会しました。48年生きてきた中で人生の岐路に立たされたことが多々ありましたが、神様に護られてまいりました。
平成26年3月脳出血で夫を、平成29年10月次男を両側肺気胸で亡くしました。夫を亡くした時長男は中学3年生、公立高校受験3日前。次男を亡くした時は大学センター試験3ヶ月前でした。長男は公立併願での受験だったので夫が亡くなった時はまだ1校も受験しておらず、大好きなお父さんや弟を失った心情を考えるとちゃんと受験できるか心配でした。そんな中でも無事第一志望の公立高校に合格してくれました。
次男が亡くなった時も国立大学に合格し、今年の4月から神奈川県川崎市にて中学校教員として働かせていただいています。人生は、選択の連続であり今の私や長男があるわけですが、このことは聖使命会員に生まれてからずっと入っており護っていただいたお陰だなと感じております。そして天国から夫や次男が長男を護ってくれたに相違ありません。
私自身も母子家庭でありながら我が子を大学まで行かせることができたお礼も兼ねてこの度特志会員にならせていただきました。聖使命会員の素晴らしさを身をもって体験し、この幸せを自信をもって皆様にお伝えしたいと思っております。(大和島根R4年11月号)

幸せを招く聖使命会
『着付け教室で喜びの伝道』
安来白鳥支部 豊嶋君子
我が家の着付け教室終わりでは、いつも“コミュニケーションタイム“を取り、特に美容師さんたちから喜ばれ、着付けや仕事のこと等をマスク越しに聞いています。
4年目26歳のY子さんには、「白鳩」「日時計24」の普及誌愛行をしてきました。いつも自信なげな小さな声で、仕事での悩みやご両親とのこと等話され、時に讃嘆し励まし、真剣に聞かれる素直な姿に、今ある幸せに早く気付いて笑顔になって欲しいと思ったのです。
褒めながらの教室では笑顔が見え始め、着付けも徐々に上達し嬉しそうでした。「普及誌に元気になる良い言葉が書いてありました。」と感想を貰うととても嬉しくて、神様とのパイプを繋げる聖使命会員の話をすると興味を示されてもいました。また彼女の先輩になる姪っ子の美容院や我が家にもある『来る人も来る人も福の神』の額を見ると「幸せを感じる良い言葉ですね。」と微笑む横顔に心の変化も感じるようになりました。
ある日、秋にオープンの二店舗目のチーフに選ばれた話をされ、その自信に満ちた表情に、私は神の子の向上心の現れを感じ、共に喜び合いました。そして「私も聖使命会員になりたいです!」と言われたのです。真理の話は随分としてきても、真意は…と思っていたので感動で胸がいっぱいになり、更に神の子の神性までも感じた瞬間でした。これから益々明るく美容師の道を歩まれる事を確信し、愛行を続けてきて良かったと、そこに喜びがあると感じました。(大和島根)R4年10月号)

幸せを招く聖使命会
御教えに導かれて家族と幸せな毎日
伊波野支部 陰山壽枝
私は結婚当初から生きているのが嫌になるほど、いじめを姑から受け苦しみました。生長の家の信徒でもない私が、何かの御縁で故常松智恵子講師にお会い出来て、苦しい胸の内を話し聞いていただきました。
常松講師のお言葉は、『あなたは良い家庭教師を雇いましたね。』と言われ、その時は納得出来なかったけれども、それから数年後、白鳩会に入会させていただきました。姑が変わったのは、十年後位でしょうか。人が変わったように優しくなって、近所の茶飲み友達に、「うちの嫁は良い嫁だ」と自慢をし、私には、「お前はいい人だ。前から好きだった。」とまで言ってくれたり、私の体調を気づかってくれるほど優しく変わってくれました。平成四年二月二十九日、二ヶ月前に亡くなった舅の後を追うように、安らかに天国に旅立ちました。
息子である私の夫は両親を送って、二十年後の平成二十四年に天国に行きました。夫も生前共通の友人に「うちの家内は自分には過ぎた人間だ」と言っていたことを後で聞いて、私は本当に幸せ者だと思い、そして、あらためて素晴らしい家庭教師に巡りあったと感謝しています。
現在、私の息子には相応しい嫁を迎え、可愛い孫達と賑やかに毎日を過ごしています。そして、二人の孫も聖使命会に入会させて頂く事が出来、私も什一会員に昇格させて頂きました。ありがとうございます。
(大和島根R4年9月号)

幸せを招く聖使命会
神様の懐に抱かれ大安心の境地
木次支部 三島征子
私は、結婚当初県外で主人と暮らしていましたが、木次に帰ってまもなく、近所に住むKさんに誘われて一緒に何年か日本舞踊を習っていました。それ以来Kさんとは友人として親しくしておりました。Kさんは大家族で多忙な日々を送っておられましたが、私が自宅で誌友会を開催するようになってから、誌友会に参加してくださるようになりました。その後、聖使命会員に家族5人入会していただきました。
そして、数ヶ月前のことです。Kさんが話を聞いて欲しいと来宅されました。相談とは、県外在住の娘さん夫婦のことでした。娘さんの御主人は62才で、最近まで県政の中枢の地位におられましたが、定年退職後、急に体調を崩され、そんな折、Kさんがちょうど娘さん宅を訪問して、それまで元気だったお婿さんの弱っている姿を目の当たりして、私のところに相談に来られたのです。私は聖使命会入会をお勧めし、2名入会して頂きました。
私の家族も聖使命会に入会させて頂いていますが、子供達の進学、就職等おかげさまで希望成就させて頂き、何が起こっても、回りがどんどんと整ってきました、聖使命会に入会させて頂いていると、神様の懐に頂かれているような大安心の境地に不思議となります。今後も聖使命会員拡大に微力ながら努力したいと思います。
(大和島根R4年7月号)

幸せを招く聖使命会
家族全員什一会員で大安心の毎日
出雲東第一支部 永瀬栄子
私達家族は、義母の提案で全員が什一会員です。以前は護持会員でしたが、10年以上什一会員でいると昇天後に永代供養をして下さる事や、神様とより強いパイプで結ばれ守られる為、什一会員に昇格させて頂きました。実際、主人は異例の早さで昇進をし、病気も早期に発見することが出来、一度の治療で完治出来ました。これも什一会員のお陰ではないかと思っております。
今回は次女が県外での就職を機に、次女の半身を聖使命会員(護持)に入会させて頂きました。離れて暮らしても、次女は神様に護られ、最も良い時に、最も相応しい半身とご縁が結ばれますので安心です。また、長男が結婚を考えているお相手がいると言うので、長男の半身を護持会員から什一会員に昇格させて頂きました。
現象的には多少の問題はあるものの、什一会員である事で菩薩として祝福され、家族全員大安心で生活をさせて頂いております。(大和島根R4年6月)

いつも明るく朗らかに
伊波野支部 落合朝子
仏経山、大黒山に守られて斐川の土地に生まれた私は、何よりも代えがたい幸せものです。何かがあると、仏教山や大黒山を眺めると心が落ち着つく私です。山々のやさしい美しさに見守られて今日一日が始まります。生長の家を知って、六十数年、一日とて淋しく悲しい日はありませんでした。
若い時、姉のいる石川県に住んでいました。そこで生長の家に触れ、青年会に入りました。その頃、私は詩を作り、高校の先生が作曲をして下さり、毎日その歌を歌っていました。今でも時々歌います。
一、いつも明るく朗らかに
誌友の瞳は輝いて
交わす言葉も愛あふれ
行こうよしっかり手を組んで
二、歌を聖歌を高らかに
若き瞳は光満ちて
交わす友情愛満ちて
輝く希望に胸張って
三、我ら神の子今立ちて
理想世界を打ち立てん
交わす誓いも火ともえて
行こうよ大(だい)聖(しょう)寺(じ)青年会
その後は、大阪で御教えを学び、主人の定年後斐川町に帰ってきました。毎日が楽しくうれしく素晴らしい、こんな世界があるのかしらと、生長の家の御教えに感謝感謝の毎日です。心からありがとうございます。現在八十六才ですが、まだまだ、私のうれしい楽しい素晴らしい人生はこれからです。(大和島根R4年5月)