top of page

教区機関紙 

大和島根より 

ウサギ

幸せを招く聖使命会

​「聖使命昇格のすばらしさ」

四絡南支部 遠藤瑳紀子 

 私の支部のAさんは3年位前に、眠れないとかで大病院に入院されておられましたが、どうにもならない状態になられ、すぐ聖使命入会を勧め、夫婦で護持会員に入会されました。入会されるやいなや、アレヨアレヨという間に症状や良くなられ、元の元気な状態になられました。
 二年余りはとても元気で過ごされましたが、今年の五月に癌の宣告を受けて再び入院されました。ステージ4との診断も下されたそうです。
 そこで、思いきって什一会員への昇格を勧めたところ、夫婦揃って承諾されました。癌の部位が手術が出来ない場所だという事でしたが、幸いにもその癌に特化する薬があり、目下それを服用中です。この間、受診に行った時、医師から「だいぶ癌の範囲が小さくなった」と言われたそうです。
 近年各々の癌に特化する薬が開発されているようですが、それに適合する人は十人に一人位だと言われたそうです。やはり昇格されて神様とのパイプを太くされたからかなと喜んでいます。一日も早く回復を祈っております。

(大和島根R5年1月号)
 

フラワーリース

幸せを招く聖使命会

​~感謝の思いで特志会員昇格~

 出雲東第一支部 柳樂真理子
私は、生長の家を信仰している母の元で育ち、聖使命会員も1歳の時入会しました。48年生きてきた中で人生の岐路に立たされたことが多々ありましたが、神様に護られてまいりました。
平成26年3月脳出血で夫を、平成29年10月次男を両側肺気胸で亡くしました。夫を亡くした時長男は中学3年生、公立高校受験3日前。次男を亡くした時は大学センター試験3ヶ月前でした。長男は公立併願での受験だったので夫が亡くなった時はまだ1校も受験しておらず、大好きなお父さんや弟を失った心情を考えるとちゃんと受験できるか心配でした。そんな中でも無事第一志望の公立高校に合格してくれました。
次男が亡くなった時も国立大学に合格し、今年の4月から神奈川県川崎市にて中学校教員として働かせていただいています。人生は、選択の連続であり今の私や長男があるわけですが、このことは聖使命会員に生まれてからずっと入っており護っていただいたお陰だなと感じております。そして天国から夫や次男が長男を護ってくれたに相違ありません。
私自身も母子家庭でありながら我が子を大学まで行かせることができたお礼も兼ねてこの度特志会員にならせていただきました。聖使命会員の素晴らしさを身をもって体験し、この幸せを自信をもって皆様にお伝えしたいと思っております。(大和島根R4年11月号)

 

伝統的な赤い着物

幸せを招く聖使命会

​『着付け教室で喜びの伝道』

安来白鳥支部 豊嶋君子
我が家の着付け教室終わりでは、いつも“コミュニケーションタイム“を取り、特に美容師さんたちから喜ばれ、着付けや仕事のこと等をマスク越しに聞いています。
4年目26歳のY子さんには、「白鳩」「日時計24」の普及誌愛行をしてきました。いつも自信なげな小さな声で、仕事での悩みやご両親とのこと等話され、時に讃嘆し励まし、真剣に聞かれる素直な姿に、今ある幸せに早く気付いて笑顔になって欲しいと思ったのです。
褒めながらの教室では笑顔が見え始め、着付けも徐々に上達し嬉しそうでした。「普及誌に元気になる良い言葉が書いてありました。」と感想を貰うととても嬉しくて、神様とのパイプを繋げる聖使命会員の話をすると興味を示されてもいました。また彼女の先輩になる姪っ子の美容院や我が家にもある『来る人も来る人も福の神』の額を見ると「幸せを感じる良い言葉ですね。」と微笑む横顔に心の変化も感じるようになりました。
ある日、秋にオープンの二店舗目のチーフに選ばれた話をされ、その自信に満ちた表情に、私は神の子の向上心の現れを感じ、共に喜び合いました。そして「私も聖使命会員になりたいです!」と言われたのです。真理の話は随分としてきても、真意は…と思っていたので感動で胸がいっぱいになり、更に神の子の神性までも感じた瞬間でした。これから益々明るく美容師の道を歩まれる事を確信し、愛行を続けてきて良かったと、そこに喜びがあると感じました。(大和島根)R4年10月号)

 

コスモス

幸せを招く聖使命会

​御教えに導かれて家族と幸せな毎日

伊波野支部 陰山壽枝 

 私は結婚当初から生きているのが嫌になるほど、いじめを姑から受け苦しみました。生長の家の信徒でもない私が、何かの御縁で故常松智恵子講師にお会い出来て、苦しい胸の内を話し聞いていただきました。
 常松講師のお言葉は、『あなたは良い家庭教師を雇いましたね。』と言われ、その時は納得出来なかったけれども、それから数年後、白鳩会に入会させていただきました。姑が変わったのは、十年後位でしょうか。人が変わったように優しくなって、近所の茶飲み友達に、「うちの嫁は良い嫁だ」と自慢をし、私には、「お前はいい人だ。前から好きだった。」とまで言ってくれたり、私の体調を気づかってくれるほど優しく変わってくれました。平成四年二月二十九日、二ヶ月前に亡くなった舅の後を追うように、安らかに天国に旅立ちました。
 息子である私の夫は両親を送って、二十年後の平成二十四年に天国に行きました。夫も生前共通の友人に「うちの家内は自分には過ぎた人間だ」と言っていたことを後で聞いて、私は本当に幸せ者だと思い、そして、あらためて素晴らしい家庭教師に巡りあったと感謝しています。
 現在、私の息子には相応しい嫁を迎え、可愛い孫達と賑やかに毎日を過ごしています。そして、二人の孫も聖使命会に入会させて頂く事が出来、私も什一会員に昇格させて頂きました。ありがとうございます。

(大和島根R4年9月号)
 

日本のインテリア

幸せを招く聖使命会

​神様の懐に抱かれ大安心の境地

  木次支部 三島征子 

 私は、結婚当初県外で主人と暮らしていましたが、木次に帰ってまもなく、近所に住むKさんに誘われて一緒に何年か日本舞踊を習っていました。それ以来Kさんとは友人として親しくしておりました。Kさんは大家族で多忙な日々を送っておられましたが、私が自宅で誌友会を開催するようになってから、誌友会に参加してくださるようになりました。その後、聖使命会員に家族5人入会していただきました。
 そして、数ヶ月前のことです。Kさんが話を聞いて欲しいと来宅されました。相談とは、県外在住の娘さん夫婦のことでした。娘さんの御主人は62才で、最近まで県政の中枢の地位におられましたが、定年退職後、急に体調を崩され、そんな折、Kさんがちょうど娘さん宅を訪問して、それまで元気だったお婿さんの弱っている姿を目の当たりして、私のところに相談に来られたのです。私は聖使命会入会をお勧めし、2名入会して頂きました。
 私の家族も聖使命会に入会させて頂いていますが、子供達の進学、就職等おかげさまで希望成就させて頂き、何が起こっても、回りがどんどんと整ってきました、聖使命会に入会させて頂いていると、神様の懐に頂かれているような大安心の境地に不思議となります。今後も聖使命会員拡大に微力ながら努力したいと思います。

(大和島根R4年7月号)
 

ピンクの花

幸せを招く聖使命会

​家族全員什一会員で大安心の毎日

出雲東第一支部 永瀬栄子

 私達家族は、義母の提案で全員が什一会員です。以前は護持会員でしたが、10年以上什一会員でいると昇天後に永代供養をして下さる事や、神様とより強いパイプで結ばれ守られる為、什一会員に昇格させて頂きました。実際、主人は異例の早さで昇進をし、病気も早期に発見することが出来、一度の治療で完治出来ました。これも什一会員のお陰ではないかと思っております。
 今回は次女が県外での就職を機に、次女の半身を聖使命会員(護持)に入会させて頂きました。離れて暮らしても、次女は神様に護られ、最も良い時に、最も相応しい半身とご縁が結ばれますので安心です。また、長男が結婚を考えているお相手がいると言うので、長男の半身を護持会員から什一会員に昇格させて頂きました。
 現象的には多少の問題はあるものの、什一会員である事で菩薩として祝福され、家族全員大安心で生活をさせて頂いております。(大和島根R4年6月)

 

仏経山.png

​いつも明るく朗らかに

伊波野支部  落合朝子
                                              
 仏経山、大黒山に守られて斐川の土地に生まれた私は、何よりも代えがたい幸せものです。何かがあると、仏教山や大黒山を眺めると心が落ち着つく私です。山々のやさしい美しさに見守られて今日一日が始まります。生長の家を知って、六十数年、一日とて淋しく悲しい日はありませんでした。
 若い時、姉のいる石川県に住んでいました。そこで生長の家に触れ、青年会に入りました。その頃、私は詩を作り、高校の先生が作曲をして下さり、毎日その歌を歌っていました。今でも時々歌います。
一、いつも明るく朗らかに
  誌友の瞳は輝いて
    交わす言葉も愛あふれ
    行こうよしっかり手を組んで
二、歌を聖歌を高らかに
    若き瞳は光満ちて
    交わす友情愛満ちて
    輝く希望に胸張って
三、我ら神の子今立ちて
  理想世界を打ち立てん
    交わす誓いも火ともえて
    行こうよ大(だい)聖(しょう)寺(じ)青年会
    
 その後は、大阪で御教えを学び、主人の定年後斐川町に帰ってきました。毎日が楽しくうれしく素晴らしい、こんな世界があるのかしらと、生長の家の御教えに感謝感謝の毎日です。心からありがとうございます。現在八十六才ですが、まだまだ、私のうれしい楽しい素晴らしい人生はこれからです。(大和島根R4年5月)

bottom of page