私の感動した1冊
1冊の本との出会い、新しい世界が広がる・・・


私の感動した1冊 №52
『明るく生きるための鍵」
淞北台支部 石橋 史
私はこれまで生長の家の沢山の聖典と出会い感動し多くの学びをいただいています。今回ご紹介する聖典は医学博士でもある徳久克己先生の『明るく生きるための鍵』です。徳久克己先生のご著書の中で初めて手にした一冊でした。以来、大切に私の手元に置いて、ことある毎に見開いて拝読しています。このご著書は、徳久先生が以前白鳩誌に「一口コメント」として書かれていた短文を1冊の本にまとめられたものだそうです。一つのテーマに1~2ページ、真理のメッセージが綴られています。誰にでも分かりやすく、とても読みやすく心にスッと入ってくる真理のメッセージが詰まったご著書だと思います。
例えば、このご本の一節の「明るさは、最大の徳」のページの“光の子”なれば…の中で徳久先生は「明るいということが、最大の徳である」と理解され、『甘露の法雨』の「智慧」の項に、「人間は光の子にして常に光の中にあれば 暗きを知らず、躓きを知らず」、また「人間」の項でも「人間は神より出でたる光なり」と二ヶ所で教えられていることから、「人間は光の子である」光であれば、本来、明るいのが人間だと気付き、今いろいろな問題を抱えていても、本当は「神の子」であり、「光の子」であると信じ、そう思えるようになると人生は明るくなる、と書かれています。私もぶれることなく、疑わずに神の子、光の子と信じ切れる自分でありたいと思います。
そして「心の生まれかわり」のページでは、聖経『甘露の法雨』の「神」の項にあるように『「心」はすべての造り主』であり、「神想観」で心の訓練をし、自覚の程度にしたがって環境も肉体も生まれ変わることができると書かれています。また、「言葉の創化力」のページでは、聖経『天使の言葉』の中に「吾れは創造神より来たりて汝らを言葉にて照り輝かさん」と教えられていることから、徳久先生はコトバとは発声音のことだと思っていたが、言葉には「思念」「発声音」「表情」の三つの要素があるとわかり、自分を幸せにし、周囲の人々を幸せにする根本は「言葉」であり、ご自身も言葉の力を使って幸せとなり健康にもなったと、言葉は運命を左右すると書かれています。本当に改めて言葉一つで自分を、そして相手をも幸せにできるその力は偉大だと思います。徳久先生が真理を学んで体験され気付かれたことなど読者にわかりやすく伝えてくださっています。どのページにも題名通り明るく生きるための大切な鍵が載っています。このご本に出会えたことに感謝です。(大和島根R7年12月号)

私の感動した1冊 №51
『あなたは無限能力者』
古志原支部 玄行 有香
私がこの書籍に出会ったのは、ごく最近のことです。栄える会の例会で、教化部長が講話のなかで紹介された次の文章がきっかけでした。
『常に人々を「神の表現」であるとして礼拝せよ。あなたの前に来るところの人々を、「神からの使者」であるとして礼拝して応接せよ。而して、「神はこの使者を通して吾に何を為せと命じたもうか」と敬虔(けいけん)な気持ちで、その人の出現の意義を省みて思え。礼拝と敬虔と傾聴と反省とを重ねるに従って、本当に神があなたに何を望みたまうかが判る時が来るであろう。』
この言葉に触れ、私は大きな生長の機会をいただきました。教化部に奉職して5年、お役に立ちたいと何事にも取り組んできましたが、電話や来館される方のご相談を受けるたび、自分の未熟さゆえ、うまく対応できず苛立ちを覚えることも少なくありませんでした。そんな時、「礼拝と敬虔と傾聴」を怠っていたことに気づかされ、深く反省しました。それからは、どんな方にも「神として」心から礼拝し、「敬虔」に耳を傾けようと決めました。すると、発するコトバも自然と変わり、不思議と気づきが増え、神のみ心を汲み取ることができるようになったと感じています。
このように本書は神性を引き出すヒントが詰まっており『生命の実相』をはじめ、谷口雅春先生のご著書から楠本加美野先生が編纂された一冊です。聖典を十分に読み込めない私にとっては、参考書のような存在であり、生長の家の学びを深める上での大切な一冊となっています。
(大和島根R7年11月号)

私の感動した1冊 №50
『甘露の法雨』
すべての問題を解決する
神門相愛会 高橋安夫
以前一年の半分は病院、畑仕事をすると病院、なぜ、病気になるだろう。原因の一つは仕事をすると、また、病気になるかもしれないという恐怖心でした。
毎日神想観をし、霊供養をする。『甘露の法雨』を読誦、ただ読むのではいけない。全身全霊で読む。目で読み、声で読み、声のリズムの中に自分を溶かし込んで読む。
『生命の実相』の二十一巻、『甘露の法雨』の講義を何十回と読みました。その時、招神歌の
吾が生くるは吾が力ならず、
天地を貫きて生くる祖神の生命。
吾が業は吾が為すにあらず、
天地を貫きて生くる祖神の権能。
この言葉が腹の中にビシッと入りました。
そして、神様御先祖様の導きにて大病も癒やされ、三階に住んでいた所から一階のバリアフリーの新築の室に変わる事になりました。本当に感謝しています。
毎日『甘露の法雨』の読誦を行じています。これまでのすべての問題も『甘露の法雨』で解決してきました。『生命の実相』は毎日二十ページ読みます。毎日感動の日々です。(大和島根R7年10月号)

私の感動した1冊 №49
『新しいチャンスのとき』
偉大なるコトバの力
久々茂支部 吉部多代美
今から二十一年程前、当時の安野啓義島根教区栄える会会頭から勧められて、谷口清超先生ご指導の山口県松陰練成会で体験発表をしました。『新しいチャンスのとき』はその後買い求めた本です。四篇から構成され、偉大なるコトバの力は、生活の中で人生を決めるほど重要だと考えさせられました。言葉の大切さは学んできましたが、何度も読み返して、これからも心がけていきたい課題です。
二〇〇四年白鳩一月号の特集に「コトバは人生を創る」と書かれていることが目に留まりました。明るい心でいると、明るい出来事がやって来て、悲しい思いでいると悲しみを引き寄せます。あなたが、心に描き言葉に出し、行動する通りに人生は創られていくのです。この号に松陰練成で発表した内容が載っています。
振り返ると、現在小学三年生になった孫は三才になったばかりの時、海外から帰国してきました。日本語学校へは通っていましたが、言葉だけではなく、環境も全く違い生活の中で戸惑う事は多く、自分の思いを伝えるのも、身ぶり手ぶりの表現でした。
その後、生命学園に入園させていただき、登園の日はワクワクで笑顔を見受けられるようになり、神様に全托して、心穏やかに見守ることができて感謝しています。心の支えとなっているこの『新しいチャンスとのとき』の本はこれからも大切にしていきます。(大和島根R7年9月号)

私の感動した1冊 №48
『生命の実相』
白鳩会神門支部 岩﨑美和子
今から三年位前に、生長の家の原点である『生命の実相』を改めて読んでみたいと思い、もっともっと自分の生命力を感じたいと、一巻から読み始めました。それから四十巻を読み終えたのは、二年後でした。朝、三十分、日中に読める時は一時間位、夜は三十分と少しずつ読み続けました。今迄、多くの聖典を読んで参りまして、真理の〝コトバ〟にその都度感動してきました。そしてまたこの度、『生命の実相』を再度読み始めました。現在十六巻を読んでいます。何度読んでも新たな感動があります。
『生命の実相』にはこう書かれています。
『「生長の家」では『生命の実相』をただ読むだけで「南無阿弥陀仏」の心を解らせる、いいかえれば阿弥陀仏に帰命し、阿弥陀仏と同体になっているところの自分の生命の正体をわからせるのです。すると突然、虚仮の自分-罪深い自分-本来無い自分というものが消えてしまって、「本来救われている自分」というものが現れて来るのであります。だから「生長の家」ではすこぶる簡単に救いがあらわれる、それは聖典『生命の実相』をただ読め、ひたすら読めということであります。』
(『生命の実相』頭注版第十二巻八十五頁七行)と谷口雅春大聖師はお説きくださいました。
教化部には、貸し出し用の『生命の実相』があります。どうぞお読みください。ありがとうございます。
(大和島根R7年8月号)

私の感動した1冊 №47
『私はこうして祈る』
人と時と場合に応じたいのり
出雲東第一支部 柳樂真理子
以前の私にとって祈りは懇願でした。困った事が起こると 聖典を紐解き、必死に祈る。谷口雅春先生の『私はこうして祈る』との出会いも夫や息子の事で悩んでいる時でした。表紙には、あなたの願いは実現できる!こんな時、この本を!と書いており、ネーミングに惹かれ、飛びつくように購入しました。隅々まで読み、神の祝福を受けたいと神に泣きつくように祈ったものでした。
山口教化部長が、島根・鳥取教区の教化部長になられて、サンサン山陰で早朝行事を行うようになり、自分自身も毎朝神想観をするようになってから、祈りの認識が変わりました。神の祝福の霊波に自分の波長を一致することによって、懇願の祈りから感謝の祈りに変わってきたように思います。少しずつですが、どんな現象が起きようとそれは必要な事であり、感謝ができるようになりました。谷口雅春先生は、どのように祈ったらいいか、その人に必要な祈り文句や心得をおときくださっています。毎日の神想観の中で祈ることにより、一番良い時に長男の教員採用試験に合格することができました。この四月からは、中学校から第一希望である高校の先生に変わり、新たな職場で仕事に勤しんでおります。祈りは必ず効果があると実感した瞬間でもありました。
我の祈りや懇願の祈りではなく、神様と波長を合わせ感謝して祈れば、必ず一番いい形で願いは叶えられます。私の人生のバイブル本でもある『私はこうして祈る』を皆様にも是非、手に取り読んでいただきたいです。神様のいのちに生かされて拝み合いの生活を体験できます。日々感謝、日々礼拝。(大和島根R7年6月号)

私の感動した1冊 №46
『日々読誦三十章経』ブック型
金城支部 佐々本さよ子
『日々読誦三十章経』は手のひらサイズで文字が大きく、一日分の文章も短いので、ちょっとしたすき間時間に読めるかなと思って、以前、生長の家講習会で聖典頒布のお手伝いをさせていただいた時に買い求めました。何ページが読んで、車内に置いたままになっていましたので、ある時、ふと読んでみようかなという気持ちになり、久し振りに本を開きました。
そこには、こんな言葉が書かれていました。
「吾れはいま吾が境遇と運命とを自己の思考によって支配し得ることを知ったのである。吾が心情が善きものであるなら吾が想う所は善であり、吾が想いが善であれば吾が言葉は善であり、吾が言葉が善であれば、吾が住む世界も善なる理想世界なることを知ったのである。其れ故、吾れは今後吾が唇に封印して敢て悪を語らない。吾れは吾が思想と言葉とにいちいち気をつけるのである。」
この教えはこれまでに何度も耳にし、目にしてきたはずですが、この時はなぜかとても心に響きました。読み進めていくと、「自分は神の子であるから、今自己の生活を、意識的に自分自身で支配するのである。」「私は今わが住む世界が吾が気分と想念との反映である事を知らして頂きました。」など、日を替え、言葉を替えて、何度も教えて下さっていますが、どれも読むたびに気持ちが新たになります。30日間で始めの文章にもどりますが、何回読んでも初めて読むような気持ちで読み続けています。いつか、ここに書かれている言葉を心底自分のものにできたらと願っています。(大和島根R7年7月号)

私の感動した1冊 №45
『日時計主義とは何か?』
稗原支部 鐘築容子
はしがきに、本書は、生長の家が発祥当時から主唱している「日時計主義」の考え方を解説したものである。これは、ひと言でいえば「人生の光明面を見る生き方」のことだ。・・・二〇〇六年に『日時計日記』という日記帳が宗教法人「生長の家」から出版された。・・・日時計主義に賛同された読者はぜひ、この『日時計日記』を使って光明生活を実践されることをお願いする。とあります。
私は、『日時計日記』を初期のころから購入していましたが、ずっと空白が続いていました。きちんと毎日書くことができるようになったのは、二〇一五年からでした。いつの頃からか、朝方に頁の半分を書くようになりました。毎日書くことはほぼ一緒です。「すべての人よ、物よ、事よ、ありがとうございます。神様の御心のままにお使い下さい。私はついてるついてる運が良い。・・・」最近より「私は神の子、うれしい楽しい幸福だ。いいことが来る。美しくなる」も追加しました。誌友会、母親教室の講師の方から教えていただいたことをどんどん増やしていき、小さい文字で記入しています。今年からは、毎日の智慧の言葉もゆっくり丁寧になぞってから書いています。夜には「本日も素晴らしい一日でした」から必ず始め、一日を振り返って書きます。私にとって毎日良いことばかりです。何年も続けて毎日書くことができていることがありがたいです。
“生長の家は「世の中の明るい面」「楽しい面」「素晴らしい面」に注目して、それを「コトバの力」によって褒めたたえ、引き出すことによって、すでにある「神の世界」をこの地上に現すための運動であります。・・・「日時計主義」こそ、実相独在の信仰と唯心所現の真理を体現した生活の実践だからです。”とあります。
真理の書を繰り返し読んで、物事の明るい面に注目し、常に良いコトバを発し、喜びあふれる生活を送っていきます。(大和島根R7年6月号)

私の感動した1冊 №44
『食卓から未来を変える』
“新しい文明”を築くために2
出雲東第一支部 永瀬栄子
生長の家のPBS(プロジェクト型組織)には、"SNIオーガニック菜園部""SNI自転車部""SNIクラフト倶楽部"があります。その中の一つの、ノーミート、低炭素の食生活を推進する"SNIオーガニック菜園部"が編集した書籍で、日々の食事の選択が地球環境などにもたらす影響について詳しく書かれており、それらにできるだけ悪影響を及ぼさない食生活を具体的に提案されています。
お肉をやめて以前より健康になった方、又お肉なしでも筋骨隆々になった方などの実際のお話など、大変分かりやすく掲載されています。私は以前、お肉のタンパク質を摂取せずに健康でいられるのか疑心暗鬼を生じていました。しかし、お野菜からでも十分なタンパク質が摂取できる事を学び、安心してノーミート料理を作る事ができるようになりました。
また、肉食を減らす事は、我慢をするのではなく、美味しいノーミート料理をもっと増やそうと言う気持ちで、無理せず、楽しく取り組む事が大切だと学びました。
この書籍の中には、SNIオーガニック菜園部のメンバーが菜園をされている写真や、お勧めのレシピもあります。またイラストは、前島根教区の山下教化部長の娘さんが担当されていて、大変読みやすくなっています。
このように、とても大切な内容が分かりやすく書いてあり、短時間で楽しく読む事ができました。
(大和島根R7年4月号)

私の感動した1冊 №43
『生命の教育』
高津浜支部 齋藤佳代子
私が仕事や家事、子育てなどに追われていた頃のことです。なぜだか忘れましたが、『生命の教育』を開き、本の初めに載せられていた「児童教育の神示」を読んで大きな衝撃を受けました。「多くの母親は子供のことをあまりに取り越し苦労するために、かえって子供に悪思念を放送して子供の健康や運命を害している。」とありました。そして、私がしているような取り越し苦労が次々と書かれていました。取り越し苦労をすることは子供を害することなのだと驚きました。また「子供を神の子だと思うものは、子供を尊敬してできるだけその世話をさせてはいただくが、神が守ってい給うと信ずるがゆえに取り越し苦労の必要はないのである。」ともあり、いらぬ心配はせず神さまにまかせておけば良いのだとわかり、ほっとしたことを覚えています。
心に響いた文章はたくさんありますが「この何事にも絶対に必要な直覚力を養成するにはいかにすべきか。先刻もいったように、幼児より子供の『神秘がる心』を押し消さないようにすることだ。」とか「遺伝が良くないといって絶望するな。胎教を誤ったからといって失望するな。人間はその最も深いところに実に根強く、神の子としての神性の遺伝をもっているのである。」なども素晴らしいと思いました。
興味深かったのは、雅春先生が文章を書く時のエピソードです。書く内容が観念のような状態でひょっこり頭に浮かんでくる、頭の中にある無形の文章と同じような文章にするためにいろいろと苦労して書いたとのことでした。すらすらと書かれているイメージだったので驚きでした。
この本は『生命の實相』全集の中から、特に生命の教育の原典となるべき部分を抄録して一冊にまとめたものです。例えや事例を使って、繰り返し繰り返し、谷口教育学の原理と方法について書かれてあります。子育てや孫育てをされている方にお勧めの一冊です。(大和島根R7年3月号)

私の感動した1冊 №42
『夢の地平線』
大田本町支部 泉 恵子
このご著書を大田本町支部の輪読会で読み合わせて来ました。純子先生のご著書は読み易く、柔らかい言葉が心に沁みるのです。若い読者を対象に書き綴られ、これからの地球をどの様に守って行くべきかを提言下さっています。地球温暖化による深刻な状況、今こそ声を上げて変えて行かねばならない。そして目の前に起こる出来事は必ず何かを教えてくれている、とうことも。純子先生は日々の暮らしを慈しみ、主婦の目線から書かれた事々が共感出来るのです。
フレンチシェフの三國清三(きよみ)さんの事も取り上げておられますが、先見の明がおありですね。直後に新聞にも三國さんの記事が出ました。三國さんのたゆまぬ努力と強い願いは、開かずの扉を開けるもの。努力の積み重ねだけが夢の実現につながる。目の前にあることを、希望を持って努力すれば、“夢の架け橋”になるかもしれない。ファーストフード興隆の中、三國さんも力を入れておられる子供達の味覚を守る為の食育活動、未来の大人に食育を……純子先生も我が意を得たりと思われた事でしょう。
他にも梨木香歩さん作の『西の魔女が死んだ』の本や映画の事が取り上げられていますが、私もお気に入りの物でもあり、とても嬉しく感じました。これらすべてのベースにあるものは、「人間神の子」。「神の子」という希望の光が導いて下さるから、誰も持っている無限の可能性を信じて努力すれば、前に進むことが出来る。人生に魔法があれば、それは希望と努力から来る。―と純子先生は言われています。人生の目的は可能性を開花させる為にある。そして、すべての背後には神が存在する。この永遠の真理を改めて心に深く刻みました。
『夢の地平線』は無限の可能性に向かってどこまでも伸びてゆくもので、見ているだけのものではなく、希望を持って努力すれば、“夢の架け橋”を自分でかけられるかもしれないというエネルギーを頂きました。
(大和島根R7年2月号)

私の感動した1冊 №41
『「ありがとう」はすばらしい』
神門支部 勝部政美
我が亡き義父が買い求めた聖典だ。主人と再婚し、生長の家を信仰して二年目に成る。
主人は、「生長の家は、ありがとうの教えで感謝の教えだよ。」と話してくれていた。私は今まで「感謝の暮らし」をして来たのだろうか?疑問だ。そんな思いを抱えていた時、『「ありがとう」はすばらしい』というこの聖典と出会った。
谷口清超先生は。「この世は学校である」と学ばせて頂いている。115頁「人生学校について」が心に強く入って来た。
この世は学校である。人は色々な事に出会うが、それによって多くを学び生長する。この世に生まれた事は、この“人生学校”に入学した事だ。ああ、私は一年生になったのか。だから、今まで様々な苦労をして勉強をし、学び生長するのか。今は、人生学校の何年生なのだろうかな?来年は還暦なのだが。
人生経験を積んで来た上で、素直な幼児の心で生きるのは、大変な進歩なのだと記されている。別の道を歩く事も出来たのだろうに。自分で苦労の道を選び歩いて来た。又、道を選ぶという判断をする事は、大変すばらしい。苦しみを選んだのも私。幸せを選んだのも私。これからも、この“人生学校”で色々学ぶのだろう。日々「ありがとう」の感謝!感謝だ。
我が亡き義父からの聖典のプレゼントをこれからも大切に読んで行こう。皆様にも清超先生のこの聖典をお勧めしたい気持ちでいっぱいです。
神様、ご先祖様、私にご本を学ばせて頂き、ありがとうございます。
(大和島根R7年1月号)

私の感動した1冊 №40
『如意自在の生活365章』
揖屋支部 濱田嘉子
私がこのご本と出合ったのは、平成24年10月28日です。揖屋支部に入会して三年、初めて団体参拝練成会に参加した時です。テキストとして購入し、記念スタンプを押していただいたので日付がわかりました。以来、私の手元にいつもこの御本を置き、バイブルのように活用させていただいております。
雅春先生は「何々365章」と題して何冊も書いておられますが、この本のはしがきの中で次のように説明しておられます。
365章シリーズは、人間智によって書かれたものではないのである。このシリーズのうち、この『如意自在の生活365章』は、恐らく365章ものの最後のもっとも圧巻とも称すべきものであり、わたしが激しく霊感的状態になり、天界からのインスピレーションを最も受け易い状態になり(中略)私が霊感的状態になっていた頃の期間に「法語」として書き続けて来た真理を一冊にまとめたものが本書であるから、本書の全巻は、生きてピチピチ現に撥ねている“真理”の書だということが出来、読者のたましいに真理が直接つたわると思う。
以来、毎日事ある度に開いて、真理の言葉を求め続けています。中でも297頁『本当に真理を悟れば問題はすぐ解決する』という項目では、問題が起こって悩んでいる人に個人指導を求められたりする。―その問題が“病気”であろうが、“経済難”であろうが、何か他の不幸な災厄であろうが―それは同じである。「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」とわたしたちはイエスと同じことを言うのである。すべての困難も障害も、神はそんなものを造らないから、本来の意味において、そんなものはないのである。
このことを知ることが真理を知ることである。この真理を本当に知ったとき解決できない問題はないのである。と、ハッキリと断言されています。
自分の本体は肉体ではない、神の子であり、霊であるということを悟ることが一番大切であると、ご本を通じて教えていただきました。
人間が神の子であれば、親は神様である。親なる神様に守り導かれ、70数年元気に生かされ喜びの生活を送ることが出来ました。感謝の念で一杯です。これからも、このご本を大切に人生の道しるべとして、拝読させていただきます。
(大和島根R6年12月号)

『新版 生活と人間の再建』
神門相愛会 岩﨑芳久
このご本は谷口雅春先生のご著書で、昭和二十九年五月一日に初版発行され(平成十九年新版発行)、聖典の中でも比較的に新しいご本です。総裁谷口雅宣先生、白鳩会総裁谷口純子先生も講習会の時に度々、テキストとして使用されました。書名は、当初「愛と生活への出発」と云う題になる予定だった様ですが「生活と人間の再建」の書名がつけられた。全二十章、一四八項目、三四二頁に、日々の生き方をわかり易く、力強くお説きくださっています。どの項目も一字一句頷(うなず)けるご文章です。
著書の「はしがき」には、“今までの生活の生き方で、どうしても面白く行かない人や、色々の宗教を巡礼してみたがどれからも功徳を得なかった人などが、本書をお読みになれば、その面白く行かない原因がハッキリわかって、人間と生活との根本的な革命をする道を見出されるにちがいないと思う”と書かれています。
更に私の心に深く刻まれた文章を紹介します。それは、第一章「愛と生活への出発」三十七頁「真に偉大なる者」から。
“(前略)愛は小さきことの実践から始まるのである。諸君は自分にとって必要なものを神に対して求めたことはあるであろうが、然し自分にとって何の利益にもならない、ただ他の人のためにのみなる幸福を祈ったことがあるであろうか。若しそれがないとしたら今すぐからそれを実行するようにお勧めする。本当の魂の喜びはそういう所から湧いて来るのである。(中略)神は「静かなひくい声」で諸君にささやき給う。そして諸君を導き給うのである。諸君の生活が真に神の生活となり、愛を実現する生活となる時、神の祝福と愛とが諸君の仕事に現れて来るのである。まず小さき愛行を実践せよ、そこから諸君の周囲に天国が実現してくるのである。 ”と、
先日のことです。何時もの様に妻と二人でクリーンウオーキングの最中、下校中の沢山の小学生とすれ違いました。「お帰り」と声がけをしました。その中の一人の女の子(三年生位)がニコニコとした表情で「帰りました」と返事をしてくれました。その子の本当に嬉しそうな顔と声に逆にその子の嬉しさが私に伝わってきました。道すがら、妻と二人で「素晴らしいネ」とその子を称えました。
このお示しくださった“小さき愛の実践”を今後も微力ながら続けていきたいと思います。
(大和島根R6年11月号)

『森の日ぐらし』
城西ピース支部 山本美和子
このご著書は谷口純子先生が、八ヶ岳南麓の北杜市大泉町に越されて8年目、新型コロナウイルスの真っ只中に出版されたものです。新型コロナは、私たちの平穏な日常を脅かし、命の危険をも感じさせました。そんな中で足元にある暮らしに喜びを見つけ、夜があっても朝や昼を忘れず、明るい中で改善の道を進もうと書かれています。今では、新型コロナは5類になりましたが、第11波がやってきて、まだまだ終息せずにいます。
この本の題を『森の日ぐらし』とされたのは、自然との触れ合いの中で、その日その日を自然と折り合いをつけながら、時に譲り、時に多くの恵みを得、決して単調ではない日々を、終日楽しんで生きようという思いからだということです。
今わが家の庭には、夏野菜が所狭しと植わっています。特にキュウリは豊作で、人様にもおすそ分けするくらいです。他に3種類のトマト、ピーマン、ナス、オクラが毎日実り、カボチャも3個は収穫しました。後メロンがどうなるか?主人はもうちょっともうちょっと、取り時が分からなくて慎重に育てています。
この『森の日ぐらし』には、地産地消、旬産旬消で無農薬、無化学肥料の野菜を使った肉なし料理、日々の生活の工夫などが収録されています。わが家も楽しみながら実践していこうと思います。

『感謝の奇蹟』谷口清超先生著
四絡南支部 遠藤瑳紀子
5年前にH講師さんが誌友会で実兄さんが3つも癌を抱えながら奇蹟的に生還されたお話をされて、その後私の支部の誌友さんが癌になられた時、色々相談する中でこの本を紹介してもらいました。
この本は谷口清超先生の御講習会の折、あるいは本部道場等での御講話の折、全国を廻ってお聞きになられた奇蹟的な信徒の実体験を掲げ、それに愛深く、私共に解り易く解説して下さっています珠玉の聖典です。
皆様も昔、御講習会の折、信徒さんが体験を話されますと、終わった直後に近づいて行かれて体験発表された方と直接お話をされているお姿をよく憶えていらっしゃる事と思います。
生長の家は一言で言えば「感謝の教え」だと言われています。こんな信じられない様な体験も載っています。
岡山の今西さんの孫が誤ってストローで針を飲み込んだ。今西さんが心を込めて祈られた時間頃から針は気管を遡って食道に入り、胃に落ちて、無事便と共に排出されたという。
本当に「祈りの力」と共に、平素のゆるぎない神への信ずる心、生長の家の教えを行ずる生活(いつも明るく調和した心で和気あいあいと暮らす)の大切さを学ばせていただきました。
相手を良くしようと拝むのではなく、無条件で拝ませてもらう(実相を拝む)と実相が現れる。この本を読んで『甘露の法雨』に書かれている真理の言葉の素晴らしさ、『甘露の法雨』の功徳を改めて再認識させていただきました。
平成29年11月11日に渡邊隆大分教区教化部長が出雲の教化部で、生長の家の教えは釈迦、キリストを超える教えを完成されている。生長の家の教えは「人類最後の最高の教え」であるとお話になり、その当時はちょっとさすがに大袈裟過ぎるのでは……と思ってお聞きしましたが、この本を読み、今は本当にその通りだと合掌せずにはいられません。(大和島根R6年9月号)

『叡智の断片』を読んで
松江城西相愛会 多久春夫
始めに私が思ったのは、私にとってとても読み甲斐のある本だと思いました。私なりに感想を書きますと、自分の身に付けなければならない事柄が沢山書いてあります。あまりにも色々書いてあり、わかる所は一応理解できるようで、理解出来ないところもあったりして難解なところは何回も読んだだけでは自分のものにはならない、やはり体験があって理解出来る文章もあります。自分の中に落としこまねばならないので相当読まないと自分の身にはならない箇所もあります。しかし読むだけで身にならないかと言えば身になるところもあります。また、日々実行していけばよい方法が書いてあり、なるほどと頷けるところもありました。生長の家は罪の子ではなく本来神の子で、私達を解放する事が目的でその方法や理由が書かれています。
私が読んで今一番心に入ってきた事は、今を生きる事がいかに大切か、とかく私は、未来の事ばかりに気を向けて何か悪い事が起きるのではないか、とか過去の事を振り返ってあれが悪かったとか思い煩う事が多いように思います。何よりも今を一所懸命生きる事がすべて良い方に向かう基だと思いました。体験も読むとなるほどと頷けました。153頁から155頁には松江と浜田での体験がのっていて何か身近に感じるものがありました。この本が全部理解できたらすごい事だと私には思えるし、理解出来るよう他の本を読んだり、行の実践をしていきたいと思います。今ではこの書と出会えて本当に良かったなあと思います。
(大和島根R6年8月号)

『人間無病の原理』
谷口雅春著作集 第五巻
朝山支部 藤江志美枝
本書は、昭和六十年の初版から平成三年の第十三版刊行まで、「谷口雅春著作集」として読み継がれてきたご著書の第五巻です。
私がこの本を知ったのは、数年前の団体参拝練成会の帰りのバスの中でした。当時私は、神想観の祈り方に戸惑い、無力感を抱いていました。同乗されていた講師の方に尋ねたら、「コツのようなものはないが…。」と言って、この本を紹介して下さいました。
神想観とは、神のつくり給うた実在の世界には、円満完全な実相のみ独在するということを信じ、(略)神のコトバを素直にそのまま幼な児の心をもって承認し受けるだけのこと。(170~171頁)
このコトバに力を頂き、神様がお創りになった“善”のみの世界を観じて行ずる神想観が楽しみになり、毎日行じました。その頃は、特に、夜半の動悸が長く続き、「治りたい」の一心でしたので、病を掴んで放さないという苦しい状態が続いていました。
治そうと思うものは却って治らず、治そうと云う心さえも放ち去って心が自由になったとき、病気がない(●●)のである。(11頁)
この神の子の自覚を促すコトバを知り、不思議な力が我が内にも宿っていると気付きました。早朝神想観では、「吾れ神の子なり」と念じていますので、神様のみ心を強く感じています。現在動悸が治まり、感謝の毎日です。
さらに、病菌と人間の関わりについて、
同じ結核菌でも、人間を害する毒性の強いものになるかどうかは、その宿主の人間の心如何(いかん)によるのであります。(略)寛容の心…(略)(94~95頁)
とあり、やはり心が大切であると知りました。
義父は、主人が三才の時結核を患いました。亡くなる方が増え、諦めかえていた時にみ教えに導かれたのです。『生命の実相』を読み、聖経読誦等を続け、神様から頂いた命であったことが、自宅療養の苦労の中でわかったと話していた事を、義母が語ってくれました。
義父は七十四才迄生きました。人間同志は勿論のこと、自然・菌類とも、大調和して生きることが、如何に大切であるかを学べたことにも感謝します。
(大和島根R6年5月号)
