​生長の家島根県教化部

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平成30年12月号 「現象は呼声の響の如し」 

 中吉田支部 伏谷良子                          

生長の家の教えにご縁をいただいたのは随分以前の事ですが、健康的には本当に恵まれていました。ところがこの夏の暑さにはクーラーなしでは過ごせない毎日でした。

しかし食欲がなく、体調がすぐれず、これまで感じたことのないしんどさを感じて近くの病院に行きました。ところが土曜日で休診と言うことで帰宅し、月曜日に再び病院を訪れると又、七日間のお盆休みとの貼り紙でした。

そして、私は少々不足を感じながら、私は病院にはご縁がないのだと帰りながらフト思い出し言葉が、「現象は呼声の響の如し」と言う言葉でした。自分の歪んだ念や曇った念が映って、その歪んだ姿が病気として現れていることに気付き、これは私の過去の業の消える現象だと思いました。日常生活のあらゆる物に事に対して感謝の気持で、「有難うございます」とすべての物に事に接していますと苦しみもやわらぎ、食欲も快復して来ました。結局この御教のお陰で病院には縁がありませんでした。
(大和島根H30年12月号掲載)

平成30年11月 御教えに生かされて

緑ケ丘支部  水津英子
 
 私は子供の頃から神仏の存在を信じ、祖父のそばで神様ご先祖様に手を合わせる事が大好きでした。
 その祖父から教わったのが、貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)と言う仏教のことばでした。よくばってはいけないよ、怒ってはいけないよ、恥じること をしてはいけないよ 等、子供の私にわかるように言って聞かせてくれました。
  結婚して大阪に住んでいる昭和50年一冊の白鳩誌を頂き 、御教えの素晴らしさに感動し自分から聖経「甘露の法雨」を求め、その後家族で聖使命会員に入会致しました。主人の転勤で私の故郷福岡に、そして約30年前主人の実家のある益田に帰りました。
 生長の家を信仰する事に賛成でない両親や義妹達と中々上手くいきませんでした。義妹は別の宗教をしていて父母はそちらに入信していた様です。私もそちらへと促された事もありましたが従う事は出来ませんでした。幸いにも主人は生長の家を賛成してくれていました。
 まだ幼かった末娘を横においての先祖供養、甘露の法雨の読誦、早朝の神想観を気づかれないように、真剣に行じました。後に 主人から、義母が子供達や孫達の事をほめていたことを聞き、生長の家の教えを続けて来てよかったと強く思いました。母が亡くなる前には、私のことを受け入れてくれた事も感じました。私もお礼を言えることが出来ました。
 今は 5人の子供達も其々 家庭を持ち、微力ながら社会のお役に立たせて頂いき皆仲良く過ごしています。これも生長の家の御教えのお陰と感謝の思いで一杯です。生長の家が子供達に受け継がれていく事を祈り、又1人でも多くの方々にこの素晴らしい御教えをお伝えして参ります。ありがとうございます。
(大和島根H30年11月号掲載)

平成30年10月号 日々に感謝して暮らす

川跡相愛会  大坪 弘衞

 

地球温暖化の現れの一環と考えられる、今夏の四十五度を超える連日の暑さ、二十数個を数える台風の数々そのほとんどが、今回は島根県を直撃するかなと覚悟を固めていても、右に逸れたり左に逸れたり、直撃を受けた地方の方には申し訳ありませんが、有難く、出雲の地は守られているなぁと感ぜずにはおられません。

九月には、震度七という未曾有の強震が北海道を襲いました。今までには考えられなかったこれらの天変地変は明らかに地球温暖化の性としか考えられない出来事です。私達は、教えられているように「神・自然・人間の大調和」を目指し千分の一一万分の一でも良い地球温暖化を減らす生き方をする義務があると信じます。

 九月十六日に開催された島根鳥取教区ペアの講習会の推進に当たり、生長の家は、原子力発電に反対し、地球環境を護る生活をおしすすめていますと伝え、その様な立場での信仰生活を勉強する機会に是非参加してみて下さいとお薦めしますと、多くの方が関心を持って下さり推進もやり易い点がありました。私達は、日々どの様な現象に会おうとも与えられた事象に常に感謝し明るい未来を夢見て暮らすことにより毎日が楽しいものとなります。

私達は、ご縁をいただき生長の家の教えにふれさせて頂いたお陰で、コンガラガッタいやな事柄の多い世の中を感謝と希望いっぱいの明るい生活に変えて生きることが出来ます。

悦びと感謝で幸せな生活をおくりましょう。(大和島根H30年10月号掲載)

平成30年7月号 生長の家の大神様に護られて導かれて

    大社東支部 桑本和美

結婚当初から同居した義父母とうまくいかず悩んでいた頃、家のポストに白鳩誌を受行して下さる方がありました。生長の家も宗教も全く無知だった私は、その白鳩誌を不思議な気持で手にするとなぜか引き込まれるままに一気に読み終えました。すると義母に対する私の思いが間違っている。私が変わらなければという思いが起こり、問題解決の糸口が見つかり、気持ちが明るくなった事を覚えています。

 その後、当時松江総合体育館で開催された講習会の受講券も愛行して下さる方があり、続けて参加しました。講習会では生長の家のみ教えに感動し、心満たされる中、自然に聖使会に家族も全員入会しました。それから徐々に各種行事にも参加でき真理を深めていく機会が増え、間もなく講師を拝命致しました。

振り返ってみますと、生長の家の教えにふれ、これまで家族が大禍なく今日を迎えることができました。大神様に護られ導かれていた事に感謝の気持ちでいっぱいです。

これからも日時計主義の生き方と、神・自然・人間の大調和のために、信仰に基づく「倫理的な生活者」として生活の中で低炭素のライフスタイルを心がけて参ります。

(大和島根H30年7月号掲載)

平成30年5月号 少年野球を振り返って

        西田相愛会 安食 博之

 

 地方講師を拝命し出講活動が三年近くになりその間、色々な出会いと感動があり、改めて生長の家のすばらしさを痛感しているこの頃です。今から約三十年前、長男が小学三年生の頃にテレビゲームが盛んに流行し、特に男の子が外に出て遊ばなくなりました。このままでは子供達に悪い影響が出るとの思いで、同級生の友人と二人で旧平田市で三番目となるスポーツ少年団少年野球部を実費で一年掛けて結成しました。
 私もスポーツが好きでしたから、三十五才頃までは、毎朝草野球チームの一員として汗を流していたので、多少教える自信がありました。スポーツの中でも特に野球は厳しいルールが多く、絵を見ながら説明しても分からない団員の子供達も多くいました。特に根気が大切だと思いつつも子供達にいらだった事は反省していました。
 指導研修を受けながら、毎週日曜日に四十人近くの団員と汗を流していましたが、なかなか勝利する事が出来ませんでした。勝利する喜びも大切ですが、私達は礼儀作法を第一に、人を思いやる心を持つ事を教えて参りました。今、思えば生長の家の教育方針の良い所を誉めて伸ばす御教えをもっと早く理解していれば、もっとすばらしいチームになったと後悔しています。
 今、時代は少子高齢化で多くの組織が衰退し、私の育った小学校も統廃合が決定しスポーツ少年団も他の所に吸収されました。真逆、こんなに速く時代が変り、地球環境も日々年々気候も激変する時代になりました。私も色々な代表として活動していますが、“テーマ”は、いかに若い人を育てるか、種蒔きを気長に強く持つ心が大切だと思います。(大和島根H30年5月号掲載)

平成30年4月号 父母が遺してくれた生長の家

     神門相愛会  岩﨑芳久 
 何時も胸にお守り。気がつけば肌身離さず持ち歩いていた、母が持たせてくれていた“甘露の法雨”のお守り。
 父は十九歳の時、自らの命を絶とうとした時、母(私の祖母)の顔が目の前に現れ、思い止まり、教えに導かれ、その後、講師を拝命し、全国の方々にご愛念ご指導を頂き、雅春先生の代わりに信徒の皆様を祈らせて頂き、八十三歳で逝きました。
 先日、休暇を頂き、伊勢神宮に兄姉弟で行って参りました。父母と長兄の写真を抱き全員で参拝を致しました。今も皆、何らかの形で生長の家に少なからず携わっています。
 生長の家を通して河口湖道場で知り合った家内と結婚出来、子供、孫にも恵まれ、幸せな日々を送っている今日この頃です。  
 毎朝の先祖供養から始まり、神想観、終わりに家族・子供孫達・兄姉弟・親族の方々・同志の皆様、町内の皆様の幸せを祈り、そして“世界平和の祈り”を欠かさず致しております。日々、父母に守られた幸せな生活を送らせて頂いています。
 最後に私の好きな詩をご紹介いたします。
  吉野山 ふみ迷うても 花の中
 日々の生活の中で、色々な出来事に遭遇します。神様は常に私達を愛深く守り導いてくださっています。転んでもつまずいても、この詩にある様に、花の中にあることを忘れずに精進していきたいと思います。
 父母が伝えてくれたこのみ教えが、子供達、孫達に芽生えていくことを願います

平成30年3月号 御教えと共に

     川跡南支部 鐘築容子

 

 信仰していた母のすすめで、小学生の頃生命学園に通っていました。ランドセルには『甘露の法雨』のお守りをいれ、家の壁には真理の言葉が書いてある紙が貼ってあり、母はいつも仏前で聖経読誦をしていたことが思い出されます。そんな環境で過ごしておりましたが、中高生の頃は信仰から遠のいていました。社会人になってから、青年会の方に熱心に声をかけていただき、青年誌友会、花のつどいなどに参加するようになりました。温かく皆さんが迎えて下さり、心地よく真理を学ばせていただきました。それから自宅で誌友会を開催するようになり、参加者の方に喜んでいただくことが自分自身の喜びになりました。その頃、父の経営していたマーケットが倒産しましたが、なんとか乗り越えることができました。どん底の時に一番強かったのは、母でした。「生長の家を信仰しているので、大丈夫、なんとかなる。」の信念は心強く、家族みんなの心を一つにし、やっと普通の生活ができるという喜びに変わっていきました。失業中の時、教化部へ奉職させていただくご縁があり、約10年間信徒の皆様に支えられ、微力ながらお役に立てればと勤めることができました。ありがとうございました。

 『日時計日記』に毎日書いている言葉は、「神様の御心のままにお使い下さい。私はついてるついてる運がいい。幸せだ。」です。言葉通り良い事ばっかりです。すべてのものに感謝し、これからも喜びいっぱいの生活を送っていきます。

平成30年2月号 神様から頂いた一粒の種


      淞北台支部 石橋 史

 私が生長の家と御縁を頂いたのは小学三年生の頃だったかと思います。母が職場の方から生長の家を勧められ、母は家庭事情から藁をも掴む思いで熱心に夜の会に出掛けていました。私も母に付いて行き母の隣で、すがって居眠りしていたのを覚えています。子供で話の内容はわからなかったのですが、講師の方のお話がまるで子守歌のように心地よく安心して護られているようでした。
 また、仏壇の前で毎晩母と聖経「甘露の法雨」を読誦したのを思い出します。懸命に生きていた母の姿からも生長の家の素晴らしさを自然に教えられた気がします。今思えばその頃、神様から一粒の種を頂いたのだと思います。
 主人から生長の家を反対された大阪での結婚生活、主人には内緒で講習会や母親教室に参加させて頂き、そこで先祖供養の大切さも教えて頂きました。当時反対していた主人も応援してくれていて本当に有り難く感謝の思いです。日々現象界では色々な事が起こりますが、「観世音菩薩讃歌」にもありますように33身に身を変じて様々な形で気づかせて下さり教えて下さっているのだとつくづく思います。日々修行の毎日、神様から頂いた一粒の種がいつの日か実を結べるよう、家庭でも職場でも地域でも日時計主義で光明化運動に邁進させて頂こうと思います。感謝合掌。

平成29年12月号 感謝して生きる


            四絡南支部 遠藤瑳紀子

 私は一才十一ヶ月の時母が亡くなり、祖母に育てられました。その祖母が生長の家に触れておりました。小学一年生の頃祖母に連れられて今市の体育館で行われた御講習会に行き、初めて谷口雅春先生を拝見しました。お話しの内容は覚えておりませんが、お目にかかったとたんに涙が出て、「このお方は唯のお方ではない。」と子供心に思ったのだけは今でも鮮明に覚えております。
 結婚する迄は祖母は何も生長の家の事を話す事はなかったのですが、結婚直後に本気で教えを学ぶきっかけになった出来事があり、悩みを手紙で祖母に相談しました。「良い所だけを見ていきなさい。決して傷口にさわってはいけない。」とアドバイスをもらいました。今盛んに言われている「日時計主義」を徹底する様に返事をもらい、今迄送られて来ても積ん読していた「白鳩」を真剣に読み始めました。とても心が救われたのを思い出します。丁度五十年前の事でした。今迄幾度も山を越えさせていただいたのも御教えあればこそと毎日手を合わせております。
 ついこの間も、思いもよらない大ピンチが起こりましたが、神様、御先祖様、両親、祖父母、亡き主人にお願いした後は、「万事好都合、万事好都合、万事好都合」と一心に唱え続けましたら、全く思いもよらない好結果になり、これ又全てに感謝致しました。
 七十代の半ばになり、一番嬉しい言葉は昨年の日めくりカレンダーの二日の法語「楽しんで、喜んで、感謝して生きる」です。この言葉をモットーに「与生」を生きたいと思います。

平成29年11月号 私と生長の家との出会い


            益田駅前支部 田原 ちえ

 合掌 ありがとうございます。私が生長の家に入信するきっかけになりましたのは、長年関西で働いていた会社の同僚が、二人ガンで亡くなられました。仲良くさせていただいていましたので本当にショックでした。その頃、私自身の健康もすぐれない時期でもありましたので、それ以後、死に対する恐怖心や不安が常に心のどこかにありました。母が八十代になる頃、私が一緒に住むことを決心し、田舎に帰ることになりました。母も生長の家を信仰しておりましたので、母に死に対する恐怖はないかと何気なく聞いたことがありました。その時の返事は、「いつ死んでも心残りはないし恐くもないよ」との淡々とした返事が返ってきました。あまりあっさりとした返事だったので、びっくりしました。生長の家での教えで死に対する恐怖心が和らぐのだったらとの思いだけが、私の入信の理由です。
 平成二十六年五月に、右大腿骨頸部骨折、環椎破裂骨折の大けがをした時、救急車に運ばれている時も、手術の時も不思議なくらい落ち着いていて、恐怖心も不安も全然ありませんでした。いくつもの幸運が重なって、大難が小難で済み、神に感謝し御先祖に感謝し、この件で私に関係した方々、全てに感謝せずにはいられませんでした。本当に守られていました。生長の家の御教えを学んでいるからこそ、気づけることが出来たのです。この気づきが増えることが嬉しいことでもあります。今年百才になりました母と家庭菜園をしながら、エコな生活も心がけ、仕事もさせていただき、母の老いも勉強させていただいている毎日です。ありがとうございました。

平成29年10月号 「神・自然・人間は一体」に気づかせて頂く

      三隅支部 冨金原 美和子

合掌 ありがとうございます。
 私の生長の家との出会いは、まだ結婚する前でしたが、夫が渡してくれた「女は愛の太陽だ」という本でした。良いことが書いてあるなと思い、その後も色々な本を読みました。 結婚生活が始まると、近くの寺井医院の宣人先生、セイ様宅での誌友会に誘われ、夫とお腹の赤ちゃんと三人で出掛けておりました。家族で聖使命に入会し、今後の生活の指針にしようと思いました。その後、母親教室で学ばせて頂き、現在息子は二児の父親になりました。
 平成十八年全国大会で谷口雅宣総裁の地球温暖化のご講話を拝聴し、夫に伝えると、私の地方講師拝命の記念と温暖化防止の為に太陽光発電を設置してくれました。当時は生長の家誌(機関誌)にも取り上げて頂き光栄でした。
 三年前からは夫と家庭菜園に取り組んでおり、“自然の恵みフェスタ”にも出品させて頂いております。
 昨年こんなことがありました。五月の連休明けにピーマンの苗を買って植えました。そのうちの一本は、枝葉が次第に落ち枯れ木状態になってしましました。ですが、実った状態を想像しながら、「待っているよ」と毎日水やりをしたところ、やがて芽が出てきて、収穫出来るようになりました。不思議なこと、神秘なことがありますが、神さまの命の現れだと気づかせて頂く瞬間でした。神の命が現れである野菜、物質、自然すべてのものを大切にすることを気づかせて頂くと共に、地球にやさしい生活に取り組んでまいりたいと思います。

平成29年9月号 “母の信仰を受け継いで″

     石見相愛会  日高 善之

合掌 ありがとうございます。
 私は今年七十才になりました。父が昭和十八年に復員し、母と結婚して兄と私が生まれました。父も母もそれぞれ兄弟が七~八人居たので、自分達ももっと多く子供が欲しいと思ったそうですが、三人目から流産が続き、母は寝たきりの状態になったそうです。
 近所の方からたまたま生長の家の先生を紹介され、それ以後、体は元通りに元気になりましたが、子供は出来なかったそうです。その後は、周囲に誌友さんも居られなかったようで、信仰にまではならなかったそうです。
 そして、転勤を二度ばかりした勤務地で、生長の家の活動を盛んにされている方が近所に居られ、直ぐに入信したそうです。その方は戦争未亡人でしたが、いつも明るく三人の子供さん達も明るく元気な方ばかりでした。その三人の内の一人が私と同級だったこともあり、私も解らないなりに入信した形になりました。
 その同級生の友人はその後、隣県の講師になりましたが、三十代半ばで亡くなったと聞きました。
 以後、ぽつりぽつりと母の言う教えの言葉を聞き覚え、日めくりの言葉を知らぬうちに暗記し今日に至っており、もっともっと勉強しなければと御本を読ませて頂く毎日です。
ありがとうございます。 

              

平成29年7月号 “御縁をいただいて″

                       金城支部 井川 郁美

 私が生長の家の教えにふれたのは20年位前です。現在35才になる息子が中学生の頃、無気力、無感動、無関心とやる気のない子であったこと。主人はいい人なのですが、休みになるとお酒三昧の生活で私は心を痛めていました。そんな時息子の塾の先生である牧田さんの奥さんに愚痴をこぼしていると、生長の家のことを教えて頂きました。講演会があることを聞くと、牧田さんと二人で出掛けて行き、ものすごく感動し喜んでおりました。
 月日がたち、その息子も今日浜田市内のホテルでホテルマンとして、一所懸命働いております。主人は61才の時、仕事中に脳出血で倒れ、半身不随となりましたが、この日は不思議なことに、その2年前に私の実父が亡くなった祥月命日だったのです。主人はタクシーの運転手をしていましたが、タクシーの事務所で倒れました。運転中に倒れていればどんな事故になっていたかわかりません。きっと父が守ってくれていたと思います。
 それから3年、主人はリハビリのお陰で、自分のことは自分でできるように回復し、喜んでおりました。ところが、ある時期よりひどい腰痛となり病院で検査をしました。しかし、その時は、すでにどうにもならない程、癌が進んでおり、入院して50日足らずで他界してしましました。何かとても信じられない出来事でしたが、生長の家では、生き通しの命と教えて頂いております。主人はきっとそばにいて見守ってくれていることと思います。
 幸いにも、私には3人の子供達(長女、次女、長男)と6人の孫が、みんな近くにいて優しく見守ってくれております。主人は昔から「子供達を遠くへは行かせん」とよく言っていましたが、これも私への思いやり(愛)なのかなあーと、有難く思っています。
 生長の家との御縁を頂き、これからも毎日感謝の生活を送り、日々邁進してまいります。

平成29年5月号 “心から放ったとき″

 

                       塩冶さくら支部 尼 幸代

私が生長の家に触れたのは、社会人1年目の頃でした。学校を卒業後、大阪で入社した会社は女性が多い職場でした。自分に自信のなかった私は、仕事も人間関係もうまくいかず、更には性格のきつい先輩の私に対する威圧的な態度にストレスが溜まり、憂鬱な毎日を過ごしていました。

そんな時私の母は、谷口雅春先生著『生命の実相』に出会い、私に送ってくれました。送ってもらった時すぐに読み始めたのですが、「いいことは書いてあるけど今の状況がよくなるとは思えない」という気持ちで途中で読むのをやめてしまいました。

それから3年後、自分に自信がないことと職場に不満があるのは相変わらずでしたが、仕事に慣れてきた時、ふと『生命の実相』の本があることを思い出しなんとなく読み始めました。その頃から私の心境に変化が生まれたのです。自分でも「私はこんなにも寛大な人間だったのか」と思うくらい今までだったらムッとしていたことも寛大に受け止めている自分がいる。人に無償の愛を与える喜びを知った自分がいる。「神の子だから大丈夫」と思えるようになった自分がいる。

今思うと苦しいことから逃れたいという一心で苦しいことを心で掴んでいました。それを心から放って神様にお任せする心境になったとき無限の癒す力が流れ入るのだとこの経験から感じます。信仰生活は、神様にお任せする練習なのでしょう。あれからたくさんの失敗がありましたし、苦しい経験もしています。それもすべて私にはなくてはならない経験でした。毎日がかけがえのない日々になるようこれからも明るい信仰生活を続けていこうと思います。

平成29年4月号 両親と祥月命日供養祭にお参りして

 
                        西田あじさい支部  福田範子
 昨年の夏、実家の父から夜電話があり、「命日祭にお参りしたことがないので、一度お参りしたいから切符や宿泊の手配をしてくれないか」という突然の話しでした。
 高校二年生だった次兄は、いつも遅くまで机に向かっていました。その兄が突然水の事故で亡くなり、両親はその兄の死をきっかけに生長の家を信仰するようになりました。朝晩の先祖供養も間もなく五十年となります。その兄の命日供養祭のハガキが毎年宇治から送られてきます。
 今まで両親は、宇治へ何度もお参りしていますが、新幹線の乗換もあり、真夏の旅は元気な者にとっても体力が要ります。わけて、春に体調を崩して一ヶ月入院していた母は、命日祭は最初で最後の参拝という思いでした。今だ現役で農業に励む元気な両親ではありますが、90才を前にして列車の旅ですので、休暇をいただき私も同伴することにしました。
 宝蔵神社の大拝殿に開始時間の午後2時前には到着し、厳かな雰囲気の中でお祭りが始まりました。8月2日が命日の霊宮聖使命や永代供養の御霊様を全て招霊され、特に参列者の関係の御霊様は、マイクを通して祭主が招霊されました。合掌しながら、兄の名前を呼ばれると学生だった当時の兄の笑顔が浮かんできました。この兄が亡くなってから、家族や親族そして、誌友の方々がこの御教えに導かれ、幸せな信仰の日々を歩ませていただいています。顕幽相携えて、まさにこの運動は高き神界や霊界からのお導きをいただいていると実感した時でした。この一泊二日の旅で親子共に信仰させていただく幸せを感じ、谷口雅春大聖師をはじめ、先達の御霊様にあらためて感謝することができました。
 両親が相愛会 ・白鳩会をそれぞれ発会してから約40年、その西田支部から分けつさせて頂き、西田あじさい支部を発会してこの春で丸5年が経ちます。白鳩会員も6名となり、我が家で毎月和やかに誌友会を開催できることは、また何ものにも代えがたい最高の喜びとなっています。これからも微力ながらお役に立ちますよう、日々精進して参りたいと思います。

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